パトリシオ旅行記

【チリ】地球は星なんだ☆■チリ縦断中カメラ紛失。(by mate_teaさん)

パトリシオ
【ルート】

パイネ国立公園(プエルト・ナタレス) 「厳しい自然の見せる美しさに感動」

チロエ島(プエルト・モン) 「うろこ壁のカラフルな家の町並が美しい静かな漁村」

イースター島  「予想外のワイルド・アイランド!絶海の孤島は野生のムツゴロウ王国!!」

サンチアゴ  「海鮮市場は日本語嵐!スーパーではローカルパパに腕時計つけるな、と注意うける、さすが首都」

バルパライソ  「とにかくジロジロ見られるストレス南米No.1。おもちゃ箱をひっくり返したような丘の町。」

カラマ(チュキカマタ銅山) 「銅山で潤った国の現実を抱える町。」

サンペデロ・デ・アタカマ(タティオ間欠泉、月の谷) 「地球の原形!?そして夜空にもまたすごい星の数!」


私の一生の汚点?カメラ紛失の地カラマ、高山病発症の地サン・ペドロ。初めて治安の悪さを感じたプエルト・モンのバスターミナル。イースター島でレンタカー拒否?!。私顔になんか付いてますか?ジロジロ見られ率南米1バルパライソ。なんとも忘れがたい国となってしまった。。

※まるで私の頭に知識も意識もなかった国、チリ。
 イースター島がチリだったことも初めて知ったぞ。
 星空が最高に美しく、地面から間欠泉が吹き上がり、魚介が
 豊富で、木の生えない高地に、流れる氷河。
 地球って生きているんだ、生きている星なんだ!!
 なんて叫びたくなる国でした。

【余談】
パタゴニアは物価があまり安くないため、ハムとチーズのサンドを作ってよく携帯していた。ハムの種類の多さと言ったら↑↑だよ。特にカベサ(頭)のハムが脂たっぷりでお気に入りだった。

【カメラ紛失事件】
 私はとても写真好きです。だからカメラには充分注意してました。でもわずか2時間の間にカメラが消えました。そしてその間の私のカメラの記憶は全くありません。旅も中盤、油断の悪魔はカラマでやって来ました。
 あの日カラマの銅山を見に行く予定で午前中にカラマに飛行機で到着。午後から銅山を見て夕方にはバスでサン・ペドロへ移動の予定でした。銅山見るためだけに寄り道した街でした。銅山へ到着してみると噂どおり銅山が閉山。せっかくタクシーチャーターしてきたのにぃ。って残念がってると事務所の人が臨時便を出して別の銅山を見せてくれることになりました。大きなジーンズとヘルメットを借りて、いざ見学。見学中もなんとなく頭がぼ〜っとするなぁ、銅山の空気のせいかなぁと思いながら、タクシーで再びカラマの街へ。サン・ペドロへのバスが1時間遅れで到着。乗ろうとしたそのとき、何気にカバンを見ると「カメラがねぃ!!!」銅山で写真を撮って帰ってくるわずか2時間にカメラが不明に。涙しながらバスの延期手続きを取り、仕方なくカラマに1泊。翌日同じルートで探し歩きましたが見つかりませんでした。あの大きなジーンズのポケットに「忘れないように」と思いながらカメラを入れたこと。ジーンズが大きすぎて役に立たなかったなと思いながら返したこと。なんで長ズボンで行かなかったんだと悔やんだこと。そして悪魔は私を悪魔にしました。陽気で親切な事務所のパトリシオ、愛想の悪いぼったくりタクシーの兄ちゃん、バスターミナルのおばちゃん、出会った人全てが怪しく思えてしょうがない。帰国してもパトリシオはメールを何度もくれ頑張って探してくれたみたいでありがとう。と今は思います。すっかり意気消沈のカラマは標高2000m超。頭がぼ〜っとしていたのはアンデスの標高が上がり始めた最初の洗礼、高山病のせいということにしておきました。さぁ、これからどんどん標高が上がり、どんどん私物が無くなる予感だよ〜!!?…( ̄▽ ̄;)


と言うわけで、写真がない分文章で!と気合とは裏腹に空回り文を書き込みました(@_@)

【旅行時期】2008/02/22~2008/03/05
【エリア】チリ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】mate_tea

パトリシオとは?

パトリシオ・エイルウィン・アソカル(Patricio Aylwin Azocar, 1918年11月26日 - )は、チリ共和国の大統領。(任期1990年-1994年)
父ミゲル・エイルウィンと母ラウラ・アソカルの5人兄弟の長男として生まれた。法律家の一家で、父は後にチリ最高裁長官をつとめた。チリ大学科学・法・社会部で学び、弁護士になった。その後チリ大学、およびチリ・カトリック大学で行政法の教授を最初に務め、さらに国立研究所で市民教育及び政治経済学の教授を務めた。
1945年にファランヘ党に参加、1957年に同党がキリスト教民主党 (チリ) キリスト教民主党に改組した際には結成メンバーとなり、党首を1958年から60年までつとめた。1964年には、上院議員に当選、1969年、国連総会にチリ代表として出席。1971年には、上院議長に就任したが、72年に辞任。1970年に成立したサルバドール・アジェンデ アジェンデ政権と激しく対立し、右派連合を結成してピノチェトのチリ・クーデター クーデターを支援した。彼は、軍事政権は暫定政権と考え、その後速やかにキリスト教民主党を中心とした民主政権に移行すると期待していたが、ピノチェトは政権を手放さず、軍政はその後17年も続いた。そのため、やがて彼は軍政支持を離れ、軍政反対派の指導者として民政復帰の活動するようになる。

パトリシオ・エイルウィンの詳細